「結婚したい」「結婚を考える人が見つかった」・・・

だけど、自分には自信がない。

 

その「自信がない」はどこからくるのでしょう?

当然ながら、「結婚する前」というのは「不安」がつきものです。

今までの家族から巣立ち、新たに新しい家族を創ろう!とするのですから。

「変化」には「不安」はつきもの。

 

まずは、自分の「結婚前は不安でいい!!」という気持ちを認めてあげましょう。(漠然とした不安を隠そうとすると、出口を探して出てこようとします)

 

 

具体的な不安

「自分に家族を支えられるのか(経済的な)」

「自分に子育てができるのか(育児)」

 

これらの「不安」も抱いて当然と考えます。しかし、その「思い」の根底は何でしょうか?

 

「自分に家族を支えられるのか」→「この給料じゃ家族を養えない」

「この給料じゃ子どもを望めない」

 

「自分に子育てができるのか」→「仕事は続けたい。でも家事も育児も仕事も無理だよー!!」

「子育てに父親が参加するっていうけど、仕事休めないし。そんな雰囲気じゃない」

 

そう、これは「自分」が「1人」でやろうとしている前提なのです。そして、自分の中に「家族を支えるのは男の仕事!」とか「子育てをするのは女の仕事」という意識があるのではないでしょうか。

 

人は、自分の育った「家族」を見本としてしまうことが少なからずあります。

 

例えば、「お父さんは仕事が忙しくて、家事育児はお母さんのお仕事」の家族で育てば、それが「普通」なのです。

 

また、人は社会の風潮にも影響を受けます。現代は、女性も仕事を持つことが当たり前なので、「家事、育児は分担してやるのが当たり前」という中で、その意識を取り込んでいきます。

 

しかし、見本となる「家族像」はかけ離れていたりするので、「頭でわかっていても」、結局は、「自分が~しなくてはならない」と思ってしまいがちです。

 

大切なことは、「お金のこと」も「家事のこと」も「子育て」のことも、2人でやる!!という意識でいることです。

 

「できるか」「できないか」ではなく、「そう思っている」事が必要なのだと思います。お互いに上記のように思っていれば、上手く分担したり、フォローできるからです。1人が困っている時、助けてあげられること、それは2人の「絆の強さ」となるでしょう。具体的に協力できなくても、「2人でやる」という意識があれば、フォローできます。

 

逆に、困っている時に、助けを得られないと「絆」が弱まります。積もり積もって・・「熟年〇〇」となるのです。

 

 

現代は、ある意味で「選択肢」が多く「自由」です。

 

「お金がなくて不安」なら2人で働いてもいい。

「子育て、家事、仕事は無理だろ」となれば、2人で協力してやってもいい。

「仕事大好きだったけど、子どもを産んでみて、超かわいいから仕事辞めたい」となれば、辞めてもいい。ネットビジネスに参入してもいい。

「パパの育児休暇」取ると周囲の目が気になる!!なら、「育児休暇」とる間は「仕事に役立つ修業期間」と考えればいい。実際に、「育児休暇」の間は「主夫」になれるので、様々な「能力」がつきます!!

 

自分が「何を」「どう」選ぶかが大事な時代になってきています。

 

プリマリタルレッスンでは、「結婚生活の不安」を取り上げます。

まずは、自分がどのように「不安」を抱いているのかを表現すること、そして相手の「不安」を聴くこと。

解決することではなく、「共有すること」が大切であると考えます。

最後に確認します。「2人で乗り越えていこう」と。

 

 

私の家族は~でした。だから「幸せ」な家族が想像できません。

「私の父はアルコール依存症でした、そんな父を母はいつも支えていました。」

「僕の父は、母にいつも暴力をふるっていました。母には痣が絶えませんでした」

「私の母は、私が小さいころいつも「お前はバカだね」「産まなければよかった」と私に言いました。」

「僕の両親は、いつも喧嘩をしていました。口論が絶えなくて、いつも不安でした。」

「私の両親は、早くに離婚していました。寂しかったけど、お母さんの為に私も兄弟の面倒をみたり、お手伝いをたくさんしました。」

 

 

 

大切な人ができて、「結婚したい」と思ったとき、ふと足元を見たら「足枷」がついていました。

驚いて、逃げようとしましたが、足枷があって動けません。

足枷を取ろうと必死にもがきましたが、外れないのです。

やっぱり、私は「結婚」なんて無理なんだ。

 

 

世の中には様々な考え方があります。

 

人々の中に浸透している「世代を超えて伝達するもの=世代間伝達」という概念。よく「家族問題」で扱われる表現です。

 

「親のようにはならない」

「親と同じことになったらどうしよう」

そう思ってもいいのです。

 

けれど、

 

「死ぬ寸前まで過去の出来事に縛られたいですか?」

 

不幸な生い立ちであったとしても、「不幸な生い立ち」を体験するために、私たちはこの世に生を受けたわけではありません。もっと、もっと私たちは深い深い魂の体験を望んで、「今ここにいる」と思うのです。

 

それならば、話は早い!!!

 

乗り越え方は、たくさんあります。人が生きた分だけ。

 

大切なのは、過去に縛られず、一歩を踏み出す「勇気」

そして、「絶対に乗り越える!!」という強い「思い」

「勇気」と「強い思い」があって、「自分は一人じゃない」と思えるなら、

 

「きっと大丈夫」

 

 

プリマリタルレッスンでは、自分の人生を良くも悪くも一貫性のある「物語」として「語る」ことで、「自己」を冷静に見つめなおします。

「語る」ことで、「縛られた思い」を解放することを目指します。

人生においては、そのような作業が何度か必要な時もあるでしょう。

逃げずに立ち向かう姿勢には助太刀致します。