家族ライフサイクルシリーズ第5弾~思春期・青年期の子どもがいる時期

今回は、家族ライフサイクルシリーズ第5弾~思春期・青年期の子どもがいる時期~について紹介したいと思います。

思春期最中でも、結婚前でも、子育て中でも、
知っておくと役立つ情報です★

最近、子どもがやたら反抗的で・・そうだと思ったら甘えてきて
どうやって考えたらよいか分からない・・

子どもがどうやって育つか、家族がどう変わるか知っておくのもいいわね。

本当に窮屈だ!
父さんと
母さんにも
知ってほしい
家族ライフサイクルとは?
こちらを参考にしてくださいね。
思春期・青年期の子どもがいる時期
- 柔軟な家族境界
- 中年期の課題達成
- 祖父母世代の世話
~「家族の心理 家族への理解を深めるために」共著:平木典子・中釜洋子~より引用
超絶簡単に言うと
徐々に子どもを自立させ、
夫婦関係に興味を持ち続け、
親の介護を通して自分たちの未来を考える
柔軟な家族境界ー自由とルール
「柔軟な家族境界」とは、何ぞや?
簡単に言うと、家族のルールの中で子どもに裁量権を与えて行動させることを、見守るということでしょうか。
説明が難しいですね。
家族のルールはないより、あったほうがよいと考えます。
その「ルール」は行動の抑制ためだけのものではなく、
子どもも親も分かり易い「ルール」を設定することに意味があります。
あの時は、よくて
この時は、ダメ!!と
「その時」どきで対応に変化がないようにすることは非常に大事ではありませんか?
例えば、仕事でも上司の機嫌により、昨日はよかったのに、今日はダメだと叱責された・・となれば、
部下は困りますよね。
親子関係は、往々にしてそのようなことがまかり通ってしまう。
養育者も人間であり、
迷い、考え日々生きているので感情的に子どもの行動に口出ししてしまいがちです。(私もそうです(;^_^A)
また、家族の「ルール」作りは、家族の合意のもと作るか、
もしくは、子どもの意見や考えを取り入れる余地をつくっておくことをおススメします。
例えば、うちはこういうルールがあるけれども、友達と~の企画をしているから、このルールこの日は守れそうにない、となれば柔軟に対応する、ということが求められると思います。
いずれにしても、思春期や青年期の子どもは、ある程度「自ら考える力」を養っていかなければならない事を考えると、
養育者からの一方的な押し付けは、良い選択とはいいがたい。
携帯使用方法
外出時間
外出先
勉強
将来の事
異性との付き合い
これらにおいて、
・「どうしたいのか」「どうしていきたいのか(方向性)」まずは話を聴く。
・自分の意見を伝える。(世間一般論ではなく、「私」の考えを伝えるようにする)
・ルールについて話し合う。
・「どうするのか」決めさせる。
・同意する。
柔軟な家族境界ーそうかい、分かった
子どもを3つのタイプに分けてみた。
親を理解し、親をどう納得させるかを考えるタイプ。
親を理解し、諦めるタイプ。
親を理解し、何としても意向を通そうとするタイプ
何はともあれ、子どもも親を見ているから、
こう言ったらこう返してくる、という推測をしている。
幼い頃、「~したい」「~買って」という希望を口にしたときの親の反応を記憶にためている。
★否定ばかりされた子は、どういう選択をするだろうか?
ー親に否定されそうな「望み」は口にしない?
ーどうせ分かってもらえないから、こっそりやる?
ーいい子にしていれば大丈夫だから、バレないように?
★話を聴いて一緒に考えてきた子は、どういう選択をするだろうか?
ーとりあえず相談してみるか?
ーこうやって言うと反対されそうだから、別の言い方で話そう。
★泣いたり、騒いだりすることで親をコントロールしてきた子どもはどういう選択をするだろうか?
ー話してみるけど、ダメなら~しようか?
ー~って言ったら絶対OKしてくれる。
子どもは、親をみている。
子どもは、親の言ったことを覚えている。
子どもが困ったとき、
果たして頼るのは誰か?
養育者なのか
祖父母なのか
先生なのか
SNSで知り合った顔も知らない誰かなのか
その選択は
小さい頃からの積み重ねなのだ
思春期・青年期にいる子どもは、自立に向けて大きく動き出す。
カラダの変化、
他者との比較による自己の確認、
養育者以外の大人からの影響、
荒波を生きていかなくてはならない。
もう体を張って守ってあげる時期ではない。
では、何ができるか。
認めることだ。
幼い頃は、子どもの「存在」そのものを受け入れ、認める。
子どもが、自分のコミュニティを作り(仲のいい友達をつくり)、親のテリトリーから出たのなら、
自分とは異なる存在として、
子どもの「感情」「考え」「行動」を認める。
失敗し、落ち込み、嘆き、焦り、揺らぎの中で、誰か1人でも分かってくれる人がいれば、
人は生きてゆけるものだ。
幼い頃の子どもとの一体感は薄れるかもしれないが、
自分とは異なる1人の人間として認め、
接することだ。
時々勘違いする人がいるが、
「認める」とは、子どもの要求にたいし、
全て「いいよ」と認めるということではない。
子どもの要求に対し、真面目に聴き受け止める。
これが重要である。
その「要求」に対しどうするかは、話し合って決めればよいことなのだ。
「そうかい、分かった」
柔軟な家族境界ー手放すことが難しい現状
「かわいい子には旅をさせよ」
という。
今の日本では、
「いずれ家を出ることはあるかもしれないけれど、
まだ別に家に居たっていいわよ~。家ならお金もかからないしね」
となる。
いやうちもそうでした。
しかし、色々学んで考えて見て思うことは、
勝手に自立していく子でなければ、
親が手放す方がいい。
「成人したら家を出てくらすのだよ」と数年前から言っておく。
生ぬるいお湯でいつまでもお湯に浸からせていたらイカン。
お金の使い方も
稼ぎ方も
人との付き合い方も
頼り方も
仕事の仕方も
恋人のつくり方も
社会に出てもまれて
考えて
苦労して
泣きをみて
大人になっていくから。
もう子育ての時間は終わりです。
親の出番は終了です。
社会に育ててもらいましょう。
けれど、世界で一番の応援者になろう。
支援者ではなく、
理解者ではなく、
ただ応援する。
手放すのだ。
(心泣く泣く)
中年期の私たちー自分たちの関係に興味を持ち続ける
家族ライフサイクルシリーズの1から、ずっと共通して強調していること、
それは、夫婦の関係に興味を持ち続けることです。
結婚し、子どもができる、仕事が忙しくなる・・
子どもの成長が可愛い!
仕事が順調!
それでも、パートナーとの関係を大事にする。
子どもが思春期・青年期を迎えると、子どもの自立が見えてくる。
子どもが家から出ていったあと、
パートナーとの2人での生活が再開することを意味する。
さて、2人の生活をどのように感じるか?
私の周囲から聞こえてくるのは、
「旦那と2人になるのか・・・無理」
という声が多い。
もしかして、2人になるのが嫌で
子どもを自立させないのか・・?ともとれる。
熟年離婚で言われるのは、
定年を迎えた夫は、「定年後は、苦労かけた妻とゆっくり旅行でも2人でゆっくりしたい」
一方妻は、「子どもが自立したしすっぱり旦那と離婚しよう」
この差をどのように考えるか。
どうしてこの差ができたのか。
考えて見る価値あり。
親の介護ー親の終活と自分の未来
子どもの思春期・青年期で家族が変化するとき、
一方で親の介護が視野にはいってくる。
まだまだ元気な親でも、
ゆるやかに周囲も親自身も老いを感じるようになる。
このようにこの時期は、
子どもの思春期で頭がイタイ
養育者自身も更年期になり、心身の変化が目まぐるしい
親が介護が必要になった
とカナリ神経を使う時期になる。
更年期の不調については、
昔に比べて、
医学的な情報にアクセスができるようになっている。
よりよく活用していきたい。
介護については、
現実に親の「老い」を通して自分の「老い」を考え始める。
親は、自らの親の介護や見取りを通して、自らの死について考えていることがあるので、
どのような最期を迎えたいのか、
介護が必要になったとき、身内に介護を望むのか施設に入所することを望むのかを確認したい。
また、最近は「お墓」の問題もある。
「旦那と同じお墓に入りたくない」
「旦那の家族と同じお墓に入りたくない」
という話もよく耳にするので、
どのようにしたいのか聴いておくとよいかもしれない。
「余生ではない」
長年仕事をして、ようやくゆっくりと過ごせる。
「余生を楽しんでください」と母に言うと、
きっぱり、
「余生ではありません」と言われた。
余生とは、何ぞや。
残りの人生ではなく、
今が人生の1番なのかもしれない
常に今が1番
余生とは、謳歌した人生の終末に近い言い方で、
それは「今」を謳歌している人にとっては、感覚的に違うのかもしれない、と考えさせられた。
このように、
親がどのように感じ「今」を過ごしているのか、
そしてどのように「死」を捉え、迎えようとしているのかは当然だが個人によって様々だ。
「今」だから聴けることもあるだろう。
介護や家(建物)のこと、お墓のこと、お金のこと、
話しにくいことだらけだが、
向き合っておかなければ
いつ「その時」が来るかは分からない。
最強の乗り越え方
1人で悩まないこと!
夫婦で乗り越えよう。
どちらかに負担がかかりすぎることは避けるべし。
もし、やむを得ず片方に負担がかかってしまう状況になってしまうならば、
もう片方はフォローを忘れずに!!
労いを忘れず、
「がんばり」を認めること。
夫婦で乗り越えることが難しい場合には、
友達にでもいい
相談機関でもいい
1人で抱え込まないことが大事だ。
己を癒すことに
時間とお金をかけてよいと思う。
それでは、
お読みいただきありがとうございました!