阿佐ヶ谷読書会~婦人公論2019,4月

お店の写真

2019年4月14日、JR阿佐ヶ谷駅から徒歩5分、
PIZZA FORNO CAFEビーンズ阿佐ヶ谷店にて第4回「おんなとおとこの工夫 生涯を連れ添うために・・」

婦人公論読書会が開催されました。

PIZZA FORNO CAFE というお店、木を基調とした落ち着いた雰囲気で書籍があり、自由に手に取ることができるようです。

本とカフェとイタリアンがコラボした空間。

お腹空いた~ピザ、パスタが食べたい!

カフェ+本でも

ぼーっとしてコーヒーでも

ちょっとした勉強も

考え事をまとめたい時でも


利用するには、イイ感じのお店だと感じました。

今回は機会がありませんでしたが、次回は是非、本を片手にパスタとティラミスを頂きに行きたいです。

ティラミスが好きなのですが、

とっても美味しかった(*’▽’)

なのに、写真を撮るのを忘れてました!!!( 一一)

読書会の雰囲気

私は、以前に「読書会」たるものに参加したことがあります。

自分より年上の方々に囲まれ、社会人としての経験もさしてなく、ただひたすら緊張していたのを覚えています。

難しい内容の本を手に頭をフル回転させ、何か発言できることはないか・・・なんて感じでした。



阿佐ヶ谷読書会は、婦人公論を題材に、
おんなとおとこの工夫 生涯を連れ添うために・・」 を夫々の夫婦の失敗や円満に解決できた出来事を話し、聴き「生涯連れそうための」工夫を考える会です。


その為、堅苦しい雰囲気ではありません。

むしろ笑いが起きたり、各々が誰かの話を聴いて真剣に何かを考えており、何だか面白いのです。

メンバーは私より先輩が多く、自分より年下の方はいません。

もっと若い人が参加してくれたら面白いな~




この読書会の好きなところは、

「うちらより先輩夫婦も同じことに大体頭悩ませてる!!」

「おとことおんなって違う。上手く関われない!」

「だけど、上手くやっていきたい!!」

「なんとか、寄り添いたい」

という希望がそこにはある、ということ。


身近でいったら、自分の親も年老いてきて、

「もう、男って年取ると余計頑固になって大変なのよ~」

「この前もね・・・」

なんて愚痴ばかり。


熟年離婚やら、別居やら・・


このような話ばかりはいってくると、自分たちの老後も変に身構えてしまうのは私だけだろうか。

夫婦共働きで育児も仕事も家事もやらなくちゃならない、

その上子どもが巣立ったら夫婦関係に亀裂なんて・・


そりゃ、結婚に良いイメージ持てないよね。


そう、この読書会には希望があるのです。

世の中には、歳を重ねても自分たち夫婦の関係をどうにか良いものにしようと試みる人達がいる。

2019,4月号 婦人公論 ”卒母”しなきゃダメですか

特集で「死ぬまでずっと親で子で”卒母”しなきゃダメですか」が組まれています。

親になって分かったことがある。

子どもはいくつになっても、親にとっては「こども」なんだということ。

その逆もしかり。


特集では、松田美由紀さんが親の立場として、花田優一さんが子どもの立場から親子関係を語っています。

読み物としてとても興味深い内容でした。

また、読者アンケートの読み解きとして臨床心理士の「信田さよ子」さんの記事が載っています。

信田さよ子さんといえば、家族相談士の養成講座で初めて知ることとなるのですが、とても話が面白く本を何冊か読んだ覚えがあります。

昔と違って、いつになったら親の役割を終えるのか、区切りをつけるのかが難しくなっていると指摘されています。

社会状況と家庭の事情、簡単に「こたえ」を出すことは難儀です。

ただ、言えることは、人の人生が確実に長くなった現在において、自分で区切りをつけて行かないと、最期までその役割を続けることになる。

親は死ぬまで親ですが、自分の人生を歩むことも大切な事であり、

親が自らの人生を主体性をもち歩くことは、子どもにとっては必要な事。


安心して自立していけるのですから。


昔と違って家族から巣立つための「押しの一手」が今はありません。


家族が多いから、早く自立してもらわないと!

社会的信用を得るために結婚しよう!



というよりも、「居心地が良いお家にいつまでも居ます♡」

ということが普通になっている。



親の立場にある人間が、幕を閉じないと。

この役割はもう終わりです。

自分の人生を自分の力で生きるのです、と。



簡単ではありませんね、きっと。






「夫婦のプラスになる喧嘩の仕方・おさめ方」

さて、今回のテーマは「夫婦のプラスになる喧嘩の仕方・おさめ方」です 。


「ケンカの積み重ねで、ケンカをしなくなる」

→長年ケンカをしてくると、ケンカするポイントがお互いに分かり、回避できるようになる。

「ケンカしそうになったら、3日間あけて話し合う」

→時間を空けることで冷静に話し合うことができる。

上記のような話が実体験で語られていきます。

教条的ではなくて、実体験が語られるので素直に入ってきます。


また、このような意見もありました。

「夫婦でケンカすることが出来るのは羨ましい。」

3世代を切り盛りする先輩のことばです。


なるほど、夫婦でケンカすること自体「普通」ではない家庭状況もある。

すると、自分に置き換えるとこうなる。

「またケンカしちゃったよ~あの時もっと言い方を変えればよかった。でも、夫婦でケンカできるってのもある意味幸せなことかも」



また、今回は男性陣の参加者が多かったこともあり、男性からの視点で「夫婦ケンカ」の描写を聴きました。

興味深かったのは、なぜ妻が怒るのかがあまり理解できていないご様子・・・

聴いている方は大体検討はつくのですがね 笑


で、妻の手料理で「まずい」などと言おうものなら、作らなくなる!という話が出ました。

その方は、普段から「おいしい」というようにしているようです。

素晴らしいですね!!


「天ぷらが10年出てこなかった」という話には笑ってしまいました。

いや、これは他人の話だから笑えるのです!!

これ、自分だったら

「一生作らん!!」(笑



その話を聴いて、「でもそうだな、3年くらいにしとこ」と思い直しました。



というように他人の夫婦ケンカを聴いて、自分だったらと顧みるのですね。

男の人は、女の人の心理は理解できないのですね。

多分、女の人も相手が女でないということを分からない限り、男の人を理解できないでしょうね。

つまり、自分をベースに相手を捉えるやり方では、夫を理解することはできないということ。

いくつになっても!!


多分、それでいいのでしょうけどね。

理解し合えない。

その前提で、どうやって寄り添って生きるか・・・

これが大事なのかもしれません。

夫婦とは、同じ屋根の下に生活していても

全く分かり合えないし、(と感じることがある)

言えないことがあるし、(と感じることがある)

素直になれないし、(時もたくさんある)

不思議ですね。


手を繋いで歩く時もあれば、

ケンカになり3m離れて歩くこともある。

手をつなぎたいと言えなくて、ソワソワすることもある。



最後に今回のコレは!!と思った格言を紹介します。

ある人は言いました。


「夫婦って、メンドクサイんだけど、細かい複雑なことを積み重ねていくのが夫婦かなって」


この発言を聴いてビビッときました。

きっと根底にはお互いに対する「あい」があるのだと思います。


だって、このご時世、逆ですから。

そんな複雑なメンドクサイことから自由になりたい。


次回の読書会は「夜会」になりそうです。

ご興味がある方は是非ご参加くださいね。

5月11日18:30~20:30

場所は未定ですが、日本家族カウンセリング協会のHPで近々告知がありますので、チェックをお願いします。

http://www.j-f-c-a.org/dokusyokai.html

それでは、お読み頂きありがとうございました(*’▽’)


前回の記事はこちら






















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