阿佐ヶ谷読書会 2019年7月

梅雨はあけたのか・・・・
皆さんこんにちは。
夏は暑くてたまりませんが、梅雨がこうも長いと太陽が恋しくなります。
「おひさまぱん」という絵本を思い出しました。
生物は日に当たらないとダメですね。
生物と言えば、雨の降り続く日の早朝
まだ薄暗いなか
しとしと雨が降っています
4時ころ
桜の木の下を颯爽と自転車で走ると・・・・
ミミズがやばい・・・・( ;∀;)
しかも長い。
踏まないように
ひーひー
言いながら
こんなにミミズがたくさんいるの初めてみた
初めての梅雨。
2019年7月読書会
さて、読書会のお話。
7月27日阿佐ヶ谷で読書会が開催されました。
今回は、日本家族カウンセリング協会全国大会で読書会の活動を報告させて頂いたことで、
新家族相談士
の方3名も参加してくださいました!!
とても新鮮で、それだけで楽しかったです。
今回、お世話になったお店は、
「カフェ・プリマヴェーラ」さん

米粉のパンケーキを提供しているお店で、今年3月オープンしたばかり。
阿佐ヶ谷のパールセンターを突き抜けた先にありました。
パールセンターはお祭りの準備か、提灯?のようなモノが天井から吊るされていました。
今週の週末から七夕まつりがあるようです。
プリマヴェーラさんでは、材料にもこだわっているようで、とても優しいキモチを頂いているようでした。
落ち着いた雰囲気のあるお店で、店主の心遣いがたくさん散りばめられている空間でした。
読書会のテーマ「ひきこもり・家庭内暴力・」
今回は、文芸春秋の記事をもとに行われました。
いきなり、ハードな内容ですね。
5月に川崎で起こった小学生殺傷事件から、ひきこもりは「危険」という風潮が強くなり、世間の関心も強くなったようです。
そこで、「ひきこもり」の現状と、「ひきこもり」と家庭内暴力の関係、「ひきこもり」が事件を起こすことについて、専門家の記事を読みながら、「家族の専門家」としてどのようなアプローチが有効なのか、有効だったのかを、話し合いました。
理事長のお話の中で、
家柄やある種の専門家の家族では、家族の問題が外にでにくい
という件がありました。
意味するところは簡単にイメージすることができます。
誰しも家族のことは、第三者に相談するのは躊躇します。
それが深くなりすぎたと感じている問題なら特に。
今の時代は、家族が閉じられているからおせっかいな誰かが入って解決なんてことにはならない。
そんな今でも
家族の問題を、家族の一人の問題として(だれかのせいではなく)とらえるのではなく、家族全体と家族を含む地域まで巻き込んで考える専門家がいる。
それが、家族相談士や家族支援士と呼ばれるひとたち。
時代に要請されているような気がします。
震災渦中にも見られた「戦うユーモア」
「ひきこもり」に続いて、理事長が常日頃から推奨している「笑い」のチカラを利用した支援について、東日本大震災直後か始まった「川柳づくり」にフォーカスした記事を読みました。
理事長は「日本笑い学会」に所属し、
この間の全国大会でも漫才をされていました理事長自ら・・。
面白い人です!!
本当にすごい方なのですが、堅苦しい雰囲気もなく
笑いを大切にし、家族の支援に尽力される方です。
で、肝心な内容です。
私が、特に注目した点は、
被災後まもなくから「川柳作り」が始まり、その活動は被災者自身の心のセルフケアになったのではないか、という部分です。
川柳とは、
5,7,5の17音でできたこっけいな詩。俳句とちがって、季語や切れ字の約束がない。
参考:江戸時代、柄井川柳が作者として名高かったので、この名がついた。
学研小学国語辞典【改訂第5版】より引用
だそうです。
「笑い」とは少し違うが日本には、こうやって言葉に表せない心情を短い言葉で表す方法が昔から存在する。
この間も万葉集や古今和歌集をテーマにした理事長の記事を目にして、
歌に隠した心情を他者が想いを馳せたり、
直接歌に隠した心情を受け取る相手がいたり、
隠すことで深まるものがあると感じた。
表す方も
受け取る側も。
最近でいえば、米津玄師が「海の幽霊」という歌で
「大切なことは ことばにはならない」と
言っていて、
深いな~と私のどこかに刺さったのです。
最近の風潮として、「言葉にして伝える大切さ」があって、
プリマリタルレッスンでも、夫婦で対話ができるようにとプログラムを組んでいるのだけれど、
一方で、言葉にならない想いも大切にしたいと最近では思っています。
言葉にして直接伝えられたら一番だけれど、
その他の方法も伝える手段はあるってことに気づいたのです。
ただ抱きしめてもいい
手紙を書いてもいい
歌を作ってもいい
川柳を創ってもいい
ってこと。
日本には、上手くことばにできないことを何かにそっと隠して伝える手段があったからこそ、今でも超ドストレートに言う人を尊敬しすぎたり、敬遠しすぎたりしてしまうのかもしれない・・
生物学的な話で、ヒトは「性」を隠したという。
ヒトに近いボルボノは「性」を隠さず、乱交。
ヒトは「性」を隠した。
最近、「隠す」「隠された」ということに「えろさ」を感じる。
日本は、着物や浴衣で素肌をあまりさらさなかった。
何かこう、根源的に「隠す」ことに
えろさを持っている気がしてならない。
まとめ
今回の読書会では、
阿佐ヶ谷の米粉パンケーキのお店「プリマヴェーラ」にて、
【ひきこもり/家庭内暴力】
【震災渦中にもみられた「戦うユーモア」】
上記2つの記事を題材に語らいが行われました。
それでは、今回もお読み頂きありがとうございました(*’▽’)